年間100万以上はかかるけど…
都市部を中心に、中学受験のための学習塾の激烈な競争が行われています。中でも関東圏で圧倒的な存在感を示しているのが、サピックスでしょう。2016年の合格者に占めるサピックス生の割合は、超難関中学校と言われる開成、桜陰においては過半数を占め、麻布や女子学院においても40%程度を占めているとされ、突出した進学実績を誇っています。
合格者に占める割合が高いから、より優秀な子供が集まった結果と言えなくもありませんが、難関中学校への合格実績を多数出して信用を積み上げ、それに引き寄せられてまた次の世代の子供たちが入ってくる(親が入れようと思う)という循環になっていることは間違いないでしょう。
その独り勝ちの理由はどこにあるのか。筆者は教育評論家ではありませんので、教育方針等の是非は横に置いて、企業経営そのものについて考えてみたいと思います。
まず、サピックスの特徴としては、子供にとってはかなりハードなものであるということが挙げられます。塾と家庭の両方で膨大な勉強量を求められるうえ、カリキュラムの進度も早く、実際の学年より1学年先の計算力がないとついていけない、とも言われているようです。
それを理由に途中で塾を変える子供もいるようですが、それで成果を出しているのですから優秀な子供をより優秀にするノウハウがあると言う事は間違いなさそうです。
授業料も安くありません。6年生ともなると年間で100万円以上は覚悟が必要です。親としては相応に資金力と気合(?)がいる水準ですが、子供が「頑張る」と言っている限りは払ってしまうのが親の心情。なかには生命保険や定期預金を解約したって払う親もいると聞きました。
つまり、闇雲に生徒の量を増やすのではなく、質的にかなり高い水準を維持する方針を貫いているのがサピックスの特徴で、実は経営上もこれが大きな強みとなっています。つまり、一定レベルよりの上澄み層しか相手にしていないため、少子化が進んで市場のパイが縮小しても、その影響は量を追及する学習塾と比べると大きくないのです。
では、サピックスに通うとなぜ優秀な子供がさらに伸びるのでしょうか。ホームページを観ますと、教育方針として「子供に考える力をつける、表現する力をつける」ことを主眼にしていますが、他にも「こんな子供に残って欲しい」という像が明確になっているように思います。
例えば、膨大な宿題を日単位で課していますが、これをこなすためには、子供が自己管理の姿勢を持つことが不可欠です。つまり「約束は守らないとならない(宿題は期日通りにやらなければならない)」という責任感が必要になります。
また、月1回ペースで行われるテスト結果によって、能力別に分けられたクラスが大きく昇降するのも特徴です。さらにはレベルが高いクラスは下の方の階にあり、低いクラスは上の階にあり、授業が終わって帰る際には下の階から先に帰宅……と、扱いのシビアな違いもあったりします。
保護者会もクラスのレベル別にグループに分けられるため、社会の縮図を親子ともに味わいます。少し大げさですが、そうした浮き沈みによるプレッシャーやストレスを、乗り越えなければならない壁と位置付けているのでしょう。自社が立てた方針に共感できない顧客は来なくてもいいという「捨てる勇気」を実践しているように伺えます。
親の心もうまく刺激する
もちろん、指導の仕方にも独自のノウハウがあります。
一言で中学受験と言っても、超難関校を目指す人ばかりでなく、ほどほどに勉強する姿勢を身につけさせるようにしようという親子供も大勢いるのですが、サピックス内の空間にはそうした人は皆無と言っていいでしょう。これもサピックスの強みです。
他の学習塾はもう少し多様な層を相手にしているために、塾の中のトップ層に「もっとやらないとダメだ」と言っても、「他の子たちはそんなにやっていない」というノイズが入るのですが、サピックスにはそれがありません。逆に言えば、勉強も大切だが子供の間は好きなことに熱中することも大切ではないか、という価値観を持つ親子にとっては、サピックスの空気は恐らくかなりの違和感があるものでしょう。
また、他の学習塾は塾にいる間に勉強を完結させるスタイルですので、家に帰ったら健康のために早く寝るとか、塾に行く前は息抜きもする子供も少なくありませんが、サピックスでは「塾内学習と家庭学習は車の両輪」という考え方です。サピックスは塾内にいる時間自体は他の学習塾と比べて少し短いのですが、合計の勉強時間は圧倒的に長くなるため、確率としては良い結果が出やすくなります。
しかも、サピックスでは教科書などの書籍がなく、授業ごとに配布するプリントを教材とするというやり方をとっています。出来合のテキストではなく、独自のプリントというのはユーザーの満足感を高めますし、それが毎回配られるため、安易に休むことができない点も実によくできた仕組みです。
さらに言うと、このプリントはテスト前に見返したりする必要があるため整理整頓が不可欠なのですが、子供ですからどうしても苦手な場合もあります。そうなると勉強の効率が下がるため、本人以外が学習の進行管理をする役割の重要性が高くなっていきます。
つまり子供本人に学習に集中してもらうためには、親の努力も不可欠となる…それがサピックスなのです。一緒にやり遂げることで親にも達成感が芽生えるようで、このことが、サピックスを一度選ぶと、多少のことではよそへ移らなくなる理由にもなっているのでしょう。
授業が終わった後に、任意参加で子供が先生に個別に質問できる時間帯を設定しています。加えて、親も疑問に思ったことは質問票に書きます。それを子供に提出させると、すぐに先生から回答があります。
つまり、競争心を芽生えさせ、親子を不安にもさせながら、他方では不安を解消させる仕組みを準備する。マッチポンプとも言えなくもありませんが、経営コンサルタントの立場から言えば、実によくできたビジネスモデルと言っていいでしょう。
経営という観点でもうひとつ驚くことは、サピックスがトップのポジションになってから既にもう何年も経っていますが、いわゆるスター講師のような存在は聞かないことです。
学習塾はどこもそうですが、社員とアルバイトを混在させていなければならない以上、教育サービスの品質の維持・底上げというのは大事な課題です。スター不在の裏返しとして、特定の人間に依存するようにはならず、誰が教えていてもある程度の質を保つべく、研修やマニュアルが充実しているようです。
ただし、実際に教えている講師は子供の成長を目の当たりにできるのが嬉しいというモチベーションがありますので、自分の独自性が発揮しにくい仕組みにはやや戸惑う人もいるようです。それでも組織としては正しい方針の1つであり、その状態を作っていくまでには相当な企業努力と時間が必要だったはずです。
簡単にはマネが出来ない
以上、サピックスの強さの要因について述べてきましたが、そのオペレーションをいったん確立させると、少なくとも同じようなことをやろうとする他社が現れたとしても、簡単にはマネができないのです。
実際、ライバルである「四谷大塚」はテキストを大幅に刷新し、一部の科目を除いて小学5年までに小学校で教える内容をすべて学ばせるようにしました「早稲田アカデミー」でも数年前から鶴亀算など中学受験に不可欠な特殊算数を小3から徐々に教え始めました。これらがサピックスを意識したものなのは間違いないでしょう。
これらの企業努力の結果、男子の御三家に限れば四谷大塚が176人から198人へ、四谷大塚も183人から194人と伸びているものの、サピックスの484人にはまだまだ水を空けられているのが現状です。
まったく異なるスタイルで結果を出すプレーヤーが出てこない限り、しばらくはサピックスの独り勝ち状態は続くことになるのでしょう。異なるスタイルとして今後考えられるのは、日々の詳細な学習とテストの実績、授業中の言動の傾向と、受験結果やその後大人になってからの進路の満足度(?)などのビッグデータを保有して、AIで解析していくようなことが有効になってくるのかもしれません。
今現在は見たり聞いたりした感覚で論じている、こんな子供はこんな学校が向いているとか、あるいはこんな子供がこれから伸びていくという点に定量的な要素を入れ始めると、ひょっとしたら業界内でまた一つのブレークスルーが起こるのかもしれませんが、今の状況が変わらない限りサピックスが勝者であり続けるのでしょう。
中沢 光昭